バリアフリー / 最後に

  • 2001年4月20日:作成
  • 2018年10月6日:全面改訂

税金で開設し広報周知を目的とする公的サイトが、環境が古いから接続できない、表示できない、表示できても閲覧者にハンディがあったら利用できない、それは許されません。公的サイトでは可能な限り多くの閲覧者へ情報を届ける義務があるはずです。

しかし行政の無理解無関心から、多くの公的サイトが様々な問題を抱え、バリアフリーからは程遠いのが現状です。

これまでに幾つかの公的サイトの開設に関わり、バリアフリー化を提案しましたが反応は鈍く、最悪事例では「救済される閲覧者の実数を示せ」と凄まれたこともあります。

おそらく「遭難者がいないことが確認できないから捜索隊を出そうとする人、弱者対策に関心がある人」と「遭難者がいることが確認できないから捜索隊を出さない人、関心がない人」の議論は平行線、永久に噛み合うことは無い気がします。

個人サイトにバリアフリー化の義務はなく、サイト開設の目的、対象者、そして開設者の判断で対応の是非は決まります。そのため多くの福祉系サイトで弱者対応が施されていますが、福祉系の話題だけでは意味が有りません。ハンディーを持った方が望んでいるのは、趣味/生活/仕事などに関するもっと日常的な情報の共有だと思います。

かつては様々な個人サイトがそれぞれの得意分野で、そうした情報を体系的に発信していました。しかし近年の流れとして個人サイトは衰退傾向にあり、それに代わって断片的で内容の薄い(時に不確かな)ブログ、ツイッター、まとめパクリサイトが増加し、Web情報の質が落ちてきたと指摘されています。

貴重な情報を発信なさっている個人サイト開設者の皆さん、その情報をより多くの方へ届けたいと思いませんか?

私の場合は、問題を起こせるほどの複雑なページが書けない完全なHTML初心者であったこと、趣味の旧型PCサポートと情報弱者対応に共通点が多かったことから、特に抵抗なくバリアフリー化に進みました。ですが、知識スキルある方の場合には体裁、構成、新しい機能と言ったそれぞれの「らしいWebサイト」イメージがあり、標準化された(技術的には凡庸な)バリアフリーサイトに抵抗があるかもしれません。

しかし、ご自身のイメージに照らし譲れる範囲の対応で構いません、それだけでも誰かの役に立つ可能性があります。個人サイト開設者の方、バリアフリーについて少しだけ考えて見て下さい

私が初めてパソコンを買った1982年、パソコン同士を接続するにはかなりの知識と技術が必要でした。試行錯誤の末、RS232Cケーブルで接続された隣のモニタに文字が表示されたとき、単に表示されるだけで何も起こりませんが本当に感動しました。SFの定番ネタ「世界中の電子計算機がケーブルで結ばれて巨大な知能となった世界」に憧れましたが、当時は夢のまた夢、まさにSFネタでした。

ところがそのSFネタはインターネットによってあっさり実現し、接続すれば誰でもウェブの住人、居住地も国籍も年齢も性別も、実生活でのハンディも関係のない、自由で平等な共有空間が待っています。しかし現実には様々な障壁に阻まれて、その自由を享受できない人がいます。その障壁を作ったのはサイト開設者であり、その障壁を取り除けるのも開設者だけです

2003年7月18日

ここ「時代おくれ」は「より多くの方へ!」を目標に作成されており、物的問題に関しては過去に伝言版へ反響がありました。しかし、人的問題に関して開設以来どれだけの方を補助できたのか、正直それは自分でも疑問です。疑問ですが役立っているに違いない!と信じています。

本来であればここで取り上げた以外にも、日本語を母国語としない外国の方、子ども、状況によっては知的問題を抱える方などにも配慮する必要があると思います。

2018年10月6日


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