Towns日記 / 2002年1月~

  • 2001年3月27日(火)~2002年7月31日(水)
  • 2017年11月15日:新レイアウト適用、最低限の加筆修正

2002年 インターネットに接続だ?

日記は半年以上更新せずに放置していたが、Townsを放置していたわけではない。記録がなく詳細は不明(それを防ぐのがこの日記の目的では?・・・ ^_^;)だが、この半年、LinuxをいじりながらLanカードを探していたのである。しかし、適当な物が見つからない。私はTownsに病的思い入れがあるわけではない*ので、非常識な価格でカードを調達する気は無いデス。このままカードが見つからなければ、Mule・Canna体験専用マシンになってしまう。それでは巨大CDプレーヤーとして活用するのと大差無いので、取り敢えず外付けモデムを使用してインターネット接続を試みることにする。メールの送受信ぐらいなら何とかなるだろう。それに、インターネット接続可となれば、不幸な誰かに押し付けるのが楽になる (^^ゞ

追1:Melco DSC-1024はPC-9801とPC/ATでバックアップ用に共用しようと変換ケーブル(3,800円、税抜き)を買った直後に、電源が死んだ。カナシイ・・・。割高なケーブルの立場が・・・。

追2:Lanカード探しは継続しています。タダまたはタダ同然で譲っても良いと言う奇特な方、伝言板で受付しております m(__)m

2017年11月19日:追記 *改めて読み返すと、単に経済的余裕がなかっただけで十分にアチラ側の人に見えます (^_^;)

2002年4月27日(土)

インターネット接続をこの連休の目標に、日中は資料集めと、モデムの調達を行う。せっかくの連休にほかにやることは無いのか? (^^ゞ。Linuxはインストール時に明示的にはずさない限り、PPP(Point-to-Point Protocol)は使用可能、インターネット接続はきわめて簡単と言う情報を複数確認。モデムは外付けのTO-BXF56K(Panasonic)を借りて帰宅。

夕食後、早速PPPとPPPdの動作確認を行う。/usr/lib/ppp/pppdでPPPdを確認・・・インストールされていない、grep ppp /proc/net/devでカーネルのPPP対応を確認・・・していない (~_~;)。インストール時にネットワーク・PPP関連の項目を明示的にはずした記憶はないのだが?

2002年4月28日(日)

PPPを扱うためにはカーネルにPPPが組み込まれ、PPPd(PPP dmarkon、接続サービスを提供する外部プログラム、Dosで言う外部コマンド、Windowsで宛先不明メールを返送してくれる外人さん (^^ゞ)がインストールされている必要がある。

まずカーネルをリメイクしてPPPを組み込む。リメイクは初挑戦。解説にしたがってmake zliloで行うが、2連続のコンパイル失敗。『るんるん』のTowns関連項目を読み直すと「makefile」に修正が必要とある。修正後、再挑戦。5時間ほどかかってリメイク終了(今時のマシンは1時間かからないらしいが)。再起動すれば、OK・・・のはずが組み込まれていない。項目選択の間違いを疑い、再度リメイクするがやはり組み込まれていない。ここで決定的間違に気づく。私は(多くのTownsと同様に)DosからzImageで起動しているので、make zliloではなくmake zImageが正解である。『るんるん』は原則PC/AT用に書かれていることを忘れていた。3度目の正直*、出来あがったzImageをコピーして再起動、あれ? Root partition has already been mounted read-write. Cannot check! とエラーメッセージが出ている。[Enter]で通過してgrep ppp /proc/net/devで確認するとppp0:~3:が表示されPPPの組み込み自体はうまくいっている。早朝から作業を開始してすでに日付が変わってしまった。

2017年11月19日:追記 *1回5時間の作業が苦痛でなく、かつ、それを3回ぶっ続けで行う・・・そんな根性は既にありません。

2002年4月29日(月)

エラーメッセージは気になるが、すでに深夜だし、また5時間掛けてリメイクもイヤだ。実害はなさそうなのでPPPdのインストールに進む。setupで追加(拡張?)インストーラを起動、ネットワーク関連項目Nをすべてインストールする。ここで不慮の事故発生、インストール後にフリーズし起動不能になってしまった。DosからzImageを旧バージョンに戻し、復旧を試みるが起動しない。もうすぐ夜明けだ、眠い、疲れた、諦めた、再インストールを決意*する。区画設定・フォーマット後、放置して寝る(やはり、Towns版の基本インストールにはPPPに限らず、選択項目はなかった。標準ではインストールされないらしい)

2017年11月19日:追記 *15時間の成果をあっさりチャラにする・・・そんな思い切りの良さも既にありません。今の私は思い切りの悪い、手強くないパイロットです(頑張ってついてきて下さい)。


昼過ぎに目が覚めたら基本部分のインストールが終了していたので、追加インストールにとりかかる。ネットワーク関係項目はすべてインストールを選ぶ。今回は無事終了。/usr/lib/ppp/pppdで存在を確認。

引き続きカーネルをリメイクしてPPPを組み込む。前日の繰り返しなので最短距離、一発成功、と言ってもまた5時間・・・日が暮れてしまった。今(6月11日)、冷静に考えると、Dos区画はフォーマットしていないから、そこにある前日リメイクしたzImageをコピーするだけでOKだったのかも (^_^;)。今回もRoot partition has・・・のエラーメッセージは出ているがgrep ppp /proc/net/devでカーネルのPPP対応を確認。念のためdmesg|moreでも確認、PPP関連項目が2行とTCP関連項目が1行(ネット上の情報ではPPP関連が3行?)が表示される。

/usr/lib/ppp/pppdでデーモンが応答し意味不明文字列(多分内部での通信結果)が30秒間ほど表示され、正常な動作を確認setupで起動するインストーラは1回目しか使用できず、2回目以降は手動で展開・インストールするのかも、と疑う。

午後9時、丸2日かかってTowns側の準備OK、ようやくモデムの接続であるが、TO-BXF56KにはTowns(FMR)対応とは表示されていない。これで接続できなければ大馬鹿者、48時間の無駄である。しかし、COM1(RS232C)の形状はPC98と同じなので、PC98用アダプターを使用すれば何とかなるに違いない。

cu -l cua0 -s 38400 ・・・ connected、いくつかATコマンドを送信して動作を確認。予想通りTownsとPC98はピン互換だ。早速、プロバイダにダイアルすると意味不明な文字を受信後、切断される。接続成功・認証失敗(と言うか認証はしていない)、モデムそのものは正常に動作している。To-BXF56KはK56規格であるがV90に変更可能である。V90に変更後、再度動作確認を行うが、問題無し。午前零時を過ぎているし明日は仕事だが、眠れない。時報、天気予報、プロバイダ、自宅、知人の携帯とダイヤルしまくる(ゴメンネ、アノ、ピーガーガーハ、ワタシダ (^^ゞ)

2002年4月30日(火)

動作確認も完了し「外付けモデムは転用もできる、ま、無駄にはなるまい」と、昼休みに家電量販店で処分品のTO-BXF56K(2,980円)を購入する。数年前の製品だが、なぜか大量に新品が流通している。たしかに評判は悪いが、この値段なら許容する(と、そのときは思ったがやはり、残り物には訳がある)。

帰宅後、サンプルスクリプトで挑戦するが、サンプルはppp-on内部から直接ATコマンドを使用するタイプで、認証方法がわからない。そこで今風?にppp-onとppp-on-dialerにスクリプトを分け、PAP認証する方法に切り替える。Net情報を参考にppp-onとdialerを作成・保存して実行。するとエラーで止まった。メッセージからdialerに実行可能属性が付いていない事が原因と判明。rootユーザー=神の創造物にまで文句を付けるか、Linux恐るべし、確かにWindowsのセキュリティとは大違いである。実行属性を付けて再挑戦、試行錯誤の後、ダイアル-接続までは可能になったが、認証されない。何でだろう?

2002年5月3日(金)

朝から微調整を繰り返しAPA認証に挑戦。dialerの記述に原因は見当たらない、が、認証されない・・・。疲れて寝る。

2002年5月4日(土)

早朝、突然認証される。前日、だめだったスクリプトでも認証される・・・。その原因は不明だがとにかく認証される。実は5月1日頃からプロバイダ側(Dion)サーバーが不調だった可能性を疑っている。Dionの回答は「お客様のパソコンの設定のご確認を」であったが、普段使用しているノートもこの期間異様に応答が悪かった。何はともあれ、接続認証可能になったので早速メールを、と思ったらmh*が(みつから?)ない。mh-eは一応動作したようだが、メールは行方不明になった。設定が面倒そうなので、取り敢えず今日はここまで。

2017年11月19日:追記 *mh(Mail Handler)はUnix定番のviベースのCUIメーラー、mh-eはそのGUI(風)インターフェイスだったと記憶します。既にLinuxコンソール使いではなく、正直なところ本人もこの日記について行けてません。また、mh-eが動作したならmhを探して直接操作する必要はないと思うのですが・・・理解不能です。単に若いと言うだけでは説明できないナニかを感じます (^_^;)

2002年5月5日(日)

朝から作業だが、少し目先を変える。ブラウザをインストールしダウンロードが可能になれば、セットアップが飛躍的に楽になるはず。使いやすいメールソフトもあるに違いない。

まずOpera for Linux 6.0に挑戦。これはDiviでPC/AT機からフロッピー渡し。展開後インストールを試みたら例の如くエラーで停止。これはTowns版Linuxの既知の問題で、uname -mに旧バージョンカーネルがi386-townsと応答し、インストールスクリプトが(お前なんか知らないと)停止するためらしい。バージョンをあげると解決する問題だが今回はパスする。

次はNetscape Navigator 2.02(Linux)に挑戦。NetscapeはCD版だから楽だ、と思っていたら、何時の間にかCDがmountできない、できなくなっている。原因はカーネルのリメイクだと思うが、当分リメイクはしたくない。しかたなくフロッピーでコピーしLinux上で展開しようとしたら、gzipエラー。なぜか展開できない。アッサリ諦める。Linuxのブラウザ=ネスケの図式が定着している、人と同じはイヤだ、とヒネクレ者の私 (^_^;)。

mozaicも候補だったが見つからないのでテキストブラウザw3m-990604に挑戦。マシンの負担を軽減するために敢えて旧版を選択。すべて解説通りに進み、午前0時すぎ、インストール完了・・・。

2002年5月6日(月)

ppp-on、w3m http://www・・・、URLを打ち込み注目していると・・・「時代おくれ」の表紙が表示された。いくつかのページを確認すると、遅いががちゃんと表示される。午前0時32分、掲示板に記念すべきTowns初書き込みを行って寝る。


翌朝からネットイヌカキ*開始。

w3mは純国産テキストブラウザで、日本語はもちろんOK、TableやFramにも対応しておりページの雰囲気をよく表している。必要時にはxvで画像の表示も(私のTownsでは非情に苦しいが (^^ゞ)可能だ。すっかり気に入ってしまった。

しかし、なぜか通信が途切れる。傾向としては総量の大きいページで無応答状態が発生するようだ。再接続すると復旧するので、終日、分単位で切断・接続繰り返して動作確認を続ける。決して快適とは言えないが、Townsでインターネットを達成し(おい、目的のメールはどうした?)それなりに満足して寝る。この行為が従量制ダイアルアップの場合、アホのような料金になることに気がつかなかった。5月の支払いが・・・ (~_~;)。

2017年11月19日:追記 *ネットサーフィン(死語)をもじっているのですが、今でも意味は通じるでしょうか?

2002年5月11日(土)

w3mの動作確認を行いつつ、通信停止の原因を追求する。きちんと調整すればもう少し速度も上がるに違いないと、調整中に衝撃の事実に遭遇、TownsのCOM1の最高速度は19,200bps、しかもハードウェアフロー制御無し。これはPC-9801より悲惨だ(FMRも同様らしい、絶対拾わんと決心する)。通信停止の原因はデータのオーバーフローである。念のためソフトウェアフロー制御で接続するが、パソ通でもあるまいし、数秒で通信停止。RS232Cは万能共通規格、外付け機器ならどんなパソコンでも何とかなる、と信じていたのに・・・。ショックのあまり作業中断。


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