2017年10月15日バックアップの旧・時代おくれです 現行サイトはこちら
 FM−Towns日記 
2001年3月27日開始
2002年7月31日更新/シリアルカードをGET!

  誘惑にまけて引き取った富士通FM−Towns+Linuxの現在進行形の 記録です。最初の頃は悲壮感も漂っていましたが、最近は(錯覚 妄想気の迷いの可能性は有るものの) FM−Townsも十分使える気がしてきました。

  ここはまさに『時代おくれ』で世間から5年以上遅れていますが、生きている初期型 Towns/旧版Linuxのページという意味では(需要があれば ^_^;)それなりに 貴重な可能性もあります。そこで、TownsはH40(グレー縦型386CPU)、 LinuxはSlackware−2.3.0Towns版(ルンルンLinux収録版) 以外知らない素人、初心者では有りますが、初期型Towns /旧版Linuxに関する質問を伝言板で受け付けることにしました(2002.07.31)。 ほとんど答えられないと思いますが、いっしょに考える仲間がいれば心強いものです。 と言ってる本人が仲間=被害者?犠牲者?を欲しがっているのは ほぼ確実 (^^ゞ。
  時系列を追って書かれており、下に行くほど新しい情報です。スクロールが面倒、 途中はもう読んだと言う方、最新情報はこちらです。

2001年3月27日(火)  間違いの始まりから中断までの2週間・・・ 
  事務室の隅で埃をかぶっていたTownsが、ついに廃棄処分になった。 かつて宮沢りえがコマーシャルをしていた。デザインもよくて欲しかったが、当時としても高すぎた。 事前調査でTowns版Linuxがあることを確認している。Windowsはもういやだ。Linuxに乗り換える きっかけにできるかもしれない。でも最終的にはPC/AT版Linuxを使用するわけだし、用済みになったら 粗大ゴミだ。しかしLinuxさえ動けば誰かに押し付けられる可能性が高い。何といっても、 宮沢りえがかわいかった。 (あの純真な笑顔から その後の不幸は予想できなかった。あいつが引退するまで大相撲は見ないと決心したが、もうすぐ見られる?)。 悩んだ末にこれをGET!

2001年3月31日(土)
  Townsを我が家に搬入。ほとんど使用されていなかったことが幸いし、マニュアルも全部ある (ほとんど読まないが)。 TownsGear?というグラフィカルなOSが付いているが、これは使用しない。 久しぶりにDOS起動Diskを作成する。98DOSやDOS/Vと違って、CDのドライバが2つ必要だと言うことが分らなくて、 手間取る (マニュアル読めば1分で解決したのに)。FDから起動して、スペックチェック。 HD40MB、メモリ2MB、貧相だ。しかし、 『るんるんLinux、はねひでや ほか、アスキー出版局、1995』に、 メモリ2MB以上の機種(実質全機種)で動作すると書かれている。 安心して寝る。

2001年4月1日(日)
  インストールに使用するのは『るんるんLinux』付属CDに入っている Slackware-2.3.0のFM-Towns版だ。最初の問題を発見する。インストーラーは メモリ4MB以下では工夫しないと動作しない。面倒はいやだ。手持ちのPC/AT用の8MBと16MBの72Pin Simmを 取りつけるが、全く認識しない。マニュアルを見ると使用できるのは、1MBと2MBだけらしい。 買ってこないといけない。インストールは諦めて、インストール手順を読み返す事にする。 あれ、基本システム35MB、Xシステムと日本語環境を含めると120MBは 必要と書いてある。しかしHDは40MBしかない上に、貧乏人の 敵SCSI接続だ。手持ちのHDはIDEだし、いくら学習用でも日本語が使えないのは困る。 SCSI-HDも買ってこないといけない。諦めて寝る。

2001年4月6日(金)
  買出しは明日だが、待ちきれない。DosShellで遊ぶが重い。でも明日からはLinux、快適になるぞって、 Dosより軽いOSはない。ここでおかしい事に気付けば、 無駄金を使わずに済んだのに。いやいや、まだ無駄と決まったわけではない。

2001年4月7日(土)
  2MBメモリーはなかったので1MBメモリ6本と、SCSI-HD1.5GBを2500円で買う。 もちろん中古。メモリ6本中の2本が認識され、 4MBを確保、これでインストーラーはOK。次はHDの交換だが、ケースは寄木細工の様な 構造をしている。どこかにカギになるネジかパーツがあるはずだ。本体右側の穴のなかにそれを 発見した。白いネジが見える。ドライバを押しこんだ瞬間、バキっと音がしてネジが無くなった。 マズイ、確認のため電源をいれたが電源が入らない。 緊急事態、目に付いたネジをすべてはずし力任せにこじ開けると、白い調整ネジが乗った 一辺4cmほどの基盤の破片が落ちている。 最悪の事態、電源周りの基盤が割れている。 もはやこれまでか?諦めて晩飯を食う・・・・。
  『チィッ、まだだ!たかが電源をやられただけだ、メインボードが やられたわけじゃない! (懐かしい) 』と気を取りなおした。基盤を観察、 プリントパターンを7ヵ所つなげばOKだ。接着剤で基盤を接合し、パターンのハンダ付けに挑戦。 だめだ、パターンが細かくて隣近所もくっついてしまう。そうだ、電気的に つながってればよいなら、それぞれのパターンに乗っている部品の足を直接電線で つなげばよい。エナメル線を探す、が、ない。エナメル線やスペアヒューズを 切らすことの無かった電子工作少年は、りっぱに成長し、酒とつまみを切らすことの無いアル中オヤジに なっていた。しかたなく壊れたマウスのケーブルから電線を切り出しハンダ付け、 簡単に終わる。緊張の中スイッチON、何事も無かったように起動した。HDを交換し組み立てて寝る。

2001年4月8日(日)
  早朝から作業開始。区画の確保とか、OASYS領域とか訳の判らん言葉がならぶが、下準備完了、インストール開始。 Towns版はほとんどオートマチックのはずが、CD-ROMのリードエラーが頻発し、ファイル展開失敗の メッセージを連発している(英語ができない悲しさ、1時間以上たってから 気がついた)。中止してDOSプロンプトから点検するがCD-ROMが壊れているわけでも、 確かに傷だらけだがCDに問題があるわけでもない。不審に思いつつもCDを磨いて最初からやり直し。 すると、インストーラーがデバイス使用中のエラーを出して停止。なんど繰り返しても同じ。 再度、DOSプロンプトから点検。CDの回転状況とアクセスランプの点滅から、CD-ROMが遅いから という単純な原因に到達した。CPUからアクセス指示が次々来るが、CD-ROMはそのずっと前の処理を している。リードエラー・再リードでちょっとでも手間取ると、デバイス使用中と判断して 展開処理をキャンセルするらしい。CDをすり切れるまで磨いてから再度挑戦、 エラーもなく基本部分のインストールに成功した。たかだか35MBに1時間以上かかった。 さっそくRootでログインし、動作確認をする。ちゃんと動いているのにちょっぴり感動したが、 まる1日潰れた怒りの方がはるかに大きい。電源を落として寝る。

2001年4月9日 (〜10日)(月)
  日本語環境その他、オプションのインストールだ。良く判らないので、すべてインストールする 事にした。自動モードを選択したつもりなのになぜが頻繁にオプション確認メッセージがでる。 CD-ROMのファイル読み込み速度も最悪で、いつまで経ってもインストールが終わらない。日付が 代わってもまだ終わらない。根気良くOKをクリックし続ける。眠い、意識が朦朧とする、 気が付いたら寝ていた。画面には確認メッセージがでている。展開失敗のメッセージもOKした ような記憶もあるが、もう如何でもよい。夜が明けたので、確認メッセージをそのままにして 出勤する。

2001年4月10日(火)
  徹夜明けの苦しい1日も終わり、Townsの事はすっかり忘れて家に帰ると、Townsの電源が 入っている。画面を見るとオプションの確認メッセージが出ている。思い出してしまったので、 またOKクリック作業に入るが、うれしいことに2時間ほどで終わった。終わったら寝るつもり だったが、好奇心に負けXシステムを起動する。起動も遅いし、 操作も最悪、でも確かにXシステムが立ち上がり感動する。X用CDプレーヤーmixcdでしみじみとCDを聞き、さらに 感動する。それなりに満足して寝る。

2001年4月11日(水)
  どうにかインストールは完了したものの、遅すぎる。Net上で情報収集をする。さっそく TownsはSimmの67〜72ピンの結線でメモリ容量を認識するので、 加工してやればPC/AT用8MBを使用できる場合がある、という役立ち情報をGET。 手持ちの8MBを使ってさっそく実験、手持ちのSimmのなかに2枚使用可能な物を発見した。 しかしいろいろ試したが1スロットあたり2MBしか認識しない。それでも、 本体2MB+増設2+2+1MBで7MBまで増やすことに成功した。しかし、 使えない12MBに釈然としないものを感じ、ハンダ付けに失敗して1本はゴミになった。 それでもXシステムを起動してみると、かなりマシになっているので、 納得する。

2001年4月15日(木)
  しかし、性能が悪すぎる。Townsでネットサーフィンをしてる人もいるようだが、この速度 では辛いはずで、なにか解決方法があるに違いないと、情報収集。そして衝撃の事実を発見。 解決方法はハイスペックモデルを使用することらしい。私のTownsは初期型廉価版猫跨ぎモデル で、世間ではペンティアムを積んだモデルが使われているようだ。これはマズイと探し回ったところ 初期型用ODPを発見したが、2万円 (もちろん中古)。何も見なかった事にして、 しばらくはホームページ作成に熱中することにする。まだ失敗を認めたわけではない。

2001年12月1日(土)  第二波攻撃の開始! インストール編 
  午後2時、何もかも忘れ久しぶりに電源を入れる。色々な不都合と共にパ スワードも忘れたのでLoginできないが、ディスクフォーマットからやり直すの で問題ない。この半年間、Townsの事を忘れていたわけではない。 作戦を練っていたのだ。名著Run Run Linuxもすでに 6年が経過している。CDも傷んでいるなら新しいTowns版Linuxにと も思ったが、Linuxは確実に肥大化しマシンパワーを 要求するようになったと指摘されており、また問題はCDの傷みではなく TownsCDにありCDを新しくしても結果は変わらない可能性が高い。そ こで、Run Run Linux収録のSlakwareをそのまま 使うことにした。
  1GB(後日おかしいことに気がつく)のハードディスクをC:D:SWAP :Linux=150:520:30:300MBに区画する。Cドライブを 起動用としDOS5をインストール、CD−Driveの組み込み後、FMR版 Filmtn(石田健仁氏作成)がTownsでも動作することを確認、全て 順調。事前にRun Run Linux付属CDの総容量が508MBである事はPC/AT 機で確認済み、そしてDドライブとして520MBを確保してある。そう、作戦 とは私の得意とするCDまるごとコピーである(こ れも後日気がつく)。
  xcopy/sでコピー開始、リードエラーの発生であっという間に停止。 コピーできない。しかし、これは予測済み。TownsCDの問題はキャッシ ュを使用すると改善される、との情報を得ている。早速、 CDキャッシュ作戦に着手、が、手元にある DOS5のSmartdrvにはCDキャッシュ機能がない事が判明、10分で挫 折か?(半年間何を調べていたんだか)。あわてて部屋中掻き回しOh!PC (95年6月号)付録のDOS汎用CDキャッシャーを見つける。やれやれ。キ ャッシャーを組み込んでコピー再開。確かに無いよりはマシだがエラー頻発、 改善されても解決されない。『TownsCD役立たず!』 と愚痴りながら最下層フォルダ単位でxcopyが夜通し続く。

2001年12月2日(日)
  あぁムカつく。午前4時頃xcopy終了。 寝る。午前8時起きる。前日(と言っても数時間前)xcopyに失敗したファイルを、 FilmtnでCDとHDを往復して1個ずつコピー する。手間は掛かるが作業は順調と思ったら、トラブル発生。Dドライブが途 中で一杯になってしまった。概算ではあと20MBは必要である。再度確認する がCDは508MB、Dドライブは520MBで間違っていない。異なるファイルシ ステム間でコピーすると(ディスク上の)容量が変化するのは知っていたが、 30MBもの増加は予想できず、余裕は10MBしか取ってない。フォーマットからやり 直す元気はすでに無く、je_0_9_6フォルダをCドライブに移動してごまかす。
  午前中で大多数がFilmtnによって救済されたが、まだ100ファ イル以上を読み込むことができない。コピーしようとすると『用紙がありません』 と言う意味不明なエラーが出る不審ファイルprn.tar も見つかる。TownsCDでは表示すらされていないファイルが存在する可 能性もある。が、しかし、これは計画に含まれている(除くprn.tar)。 読み込みに失敗したファイルはPC/AT機からフロッピー 渡しでTownsにコピーすればよい。2DDフロッピーならフォーマッ トは共通。まずフロッピーに納まるファイルを先にコピーする。単純コピーは prn.tarを除きあっさり完了した。prn.tarはWindows98 では『ファイル使用中』で、2000では『ファイルがありません』でエラーにな った。どうもファイル名のprnがシステムの予約語であ るためらしい。名前を変えようにも、相手はCDだし・・・ (‾_‾;)。 日本語関連ファイルで基本部分には関係無い(と思う)のでコピーはLinux 上で行うことにする。諦めて、夕食、休憩に入る。
  午後9時、2DDフロッピーに収まらないファイルのコピーを開始。分割 結合ソフトはDiVi(エレナ氏作成)を使用、本当に機械を選ばない優れも のである。午後11時、prn.tarを除く全てのファイルのコピーを終える。 CD1枚コピーするのに30時間以上かかったが、これでTownsCDとは おさらばだ。満足して寝た。

2001年12月3日(月)
  のだが、結果が気になって眠れない。インストールしたい、結果が知りた い・・・。まあ、基本部分だけならたいして時間もかからないし、と午前一時 からインストールを開始する。D:¥TOWNS>installでインスト ーラが起動、区画の設定初期化、パッケージの選択と順調に進んだが、インス トール実行、でSlakwareのCDを要求して きた。無視して進めると本体のインストールはスキップされ、Towns関連 部分だけがインストールされてしまった。当然、再起動沈黙である。
  インストーラはCDを前提に作られているのか、私の30時間は無駄になる のか、とあせって再度インストーラを立ち上げて安心する。ちゃんとインスト ールに使用する媒体が選択できるようになっており、ハー ドディスクも選択可能である。ヨカッタ。こんどはインストール元に /dev/sda4(Dドライブ)を選択し、ディレクトリにTOWNSと SLACK230を指定してインストール実行、しかし『指定の場所に Slakwareが無い』とメッセージが出て、またも本体インストールがス キップされた。入力ミスかと思い、再度インストール。今度は大文字小文字に も気をつけて慎重に指定する、が、結果はまったく同じ。インストーラのバグ でCD以外からのインストールはできないのかと不安になるが、再度挑戦。 SlakwareのディレクトリにSLACK230ではなくサブディレクトリ Slakwareを指定、すると『指定のディレクトリは存在しない』とエラ ーメッセージがでて、ようやく気が付いた。Slakware のディレクトリはSLACK230/Slakwareである。
  インストール元の指定も完璧、今度こそはインストール成功かと思ってい たら『ファイルがすでに存在する』と注釈付きで展開失敗のメッセージが連続 している。2回目以降のインストールで区画の初期化を行っていないことが原 因で、問題はないと思うが、以後の不安要因を排除するため再度インストーラ を起動する。今度は区画の初期化からきちんと行う。『ファイルがない』や『展 開失敗』は無かったが、始めてみる(これまでは警告が多すぎて気がつかなか った可能性あり (^^ゞ)『バージョンが古い可能性』の警告がtrn−nnt p.tgzとnn−spool.tgzについて出た。この2箇所をOKした 以外はオートマチックでインストールは終了した。所要時 間は区画の設定初期化も含めて50分程度でCDからインストールした場合の約 半分。結果には満足したが、5回目のインストールが終了したのは午前 5時、シャワーで眠気を払って出勤。

  帰宅後、早速rootでlogin。 インストールに使用しなかった関係か、CD−ROMが自動マウントになって いないことに気が付く。mount・・・、前回1度も成功していない。不安 を感じつつCDのmountを試みる。どうしたことか一発で成功。fstab にもviを起動して自動マウントされるように書き込む。viで文字が書き込 めたことに感動する。cp(コピー)をはじめ基本的コマンドを次々にテスト すると今回は全て『解説書通り』に動作する。前回 のインストール時には基本コマンド群の中にも、展開失敗で欠落しているもの が在ったらしい。
  今回の作戦は成功である。TownsCDを用いた欠陥Linuxと、今 回のハードディスクからインストールした『まともなLinux』の差は大き い。前回の欠陥Linuxは余りにも挙動不審で、使う自信もなかったし、使 う気にもならなかったが、今回の『まともなLinux』 はコンソール主体なら十分使えそうである。
  早速、前日棚上げにしたprn.tarをコピーしようとしたら、不正な ファイル名としてはねられた。Linuxでも使用できないファイル名のよう である。prn.tarのコピーは諦めることにする(Linuxでも使用で きないなら必要無いような気もするし)。

2001年12月4日(火)〜5日(水)
  午後10時、拡張部分のインストールに取り掛か る。無駄だとは思ったがインストール所要時間を比較するため前回同様にXシ ステムも含めた『全てインストール』を選択する。Dドライブ(Dosフォー マット)はmountしなくてもインストール元に認識された。インストール 開始、途中でディスクシリーズNで基本部分同様にtrn−nntp.tgz、 nn−spool.tgzと、あらたにnn−nntp.tgzに『バージョン が古い可能性』の警告が出る。この3箇所をOKした意外はエラーメッセージ も無く淡々とオートマッチクで進む。約3時間半で完了す る。前回の『徹夜でエラー監視』に比べれば素晴らしい進歩である。 ディスクシリーズNの警告が気になり、DドライブとCDを比較してファイル のコピーもれを点検するが、特に異常は見つからない。警告の原因は不明のま ま取り敢えず動作確認をする。
  使い物にはならなくても1回ぐらいは画面を見ておこうとstartx・・・、 ナニカオカシイ、ドコカチガウ。バッテンカーソルが滑らかに動き、瞬時 ポップアップを表示、スクリーンセーバーが数秒で起動しなんと絵が動いてい る。前回4月の動作確認ではカーソル3段飛び、メニュー10秒待ち、セーバー 起動5分待ちで静止画表示、だったんだが?
  Towns+LinuxのXwindowsはPC9801 (386sx)+Windows3.1より快適に動作することが判明。 大満足!すでに午前2時を過ぎている、明日も仕事だ、がこれは寝るわけには いかない。セーバー、ゲームやエディタなど次々にXアプリを起動する。速度 が必要なゲームやグラフィック系は辛いが、その他は学習用には十分な速度が 得られている。密かにTownsを闇に葬ろうとしていた自分に反省、そのま ま出勤。

2001年12月8日(土)
  午後9時、JGパックの一部をインストールする。 快調に進行しているので、Run Run Linuxを読んで時間を潰す。すると 『ハードディスクからのインストールを推奨する』ときっ ぱり書かれている。CDの丸ごとコピー作戦なんて常識だったことを 知る。この半年間、私はRun Run Linuxも読まずに何の準備をしていたのだろ う (‾_‾;)。なお、JGのインストールは問題なく完了し、動作確認もOK。
  Run Run LinuxのTowms独自移植ソフト解説にSeejpeg(画像 表示)とMpeg_vga(動画再生)を見つける。Mpeg_vgaの方は 『データ形式が違う』とエラーになるが、Seejpegの方は動作する。 GifとJpegがOKでなぜBmpが処理できないんだと思いつつ、雑誌の おまけCDを表示させる。表示間隔が10秒で描画時間が分単位の、間延びしたス ライドショーが始まった。今は亡きPC9801Tが丁度こんな感じだったな と懐かしむ。CDを取り替えながらスライドショーは続き、気が付けばこ のH画像閲覧が私のLinux初仕事となってしまった (^^ゞ。

2001年12月9日(日)
  明け方まで画像閲覧をしていたので眠い(その代わり午後5時まで寝てい たが)。夕食後、日本語環境JEのインストールを する。キーボード定義ファイルは、Townsには関係なさそうなので除外す る。問題ファイルprn.tarの影響が出るとすれば今日だ。注意深くメッ セージを監視する。が、寝ていた。目が覚めるとインストール完了確認のOK 待ちになっている。しかし、これまでの流れから判断してエラーがあればその 確認待ちで止まるはずだ。問題はなかったと判断して完了をOKする。名前か ら推測するとプリンタ関係にトラブルがある可能性もあるが、Towns用の プリンタは3月に廃棄したので、印刷する事は(当分)ないから困らないはず だ。
  さっそくCannaの漢字入力をチェックする。なぜか Mule(エディタ)以外で漢字入力ができない。 Xもコンソールもだめ。Mule上での動作も若干変だが、Townsのキー ボードがPC/ATと違うためだと勝手に納得、『今回 のインストールは完璧』と決め付けて、第二波攻撃インストール編を 終了する。前日インストールしたJGパックから日本語環境を前提とするゲー ムをしながら眠る(注:Townsはベットサイドに置 いてある)。

2001年12月10日(月) OSの理解はファイルの点検から
  インストールが完了したので『Towns日記』を更新しようと読み返し ていたら、ありゃ、ハードディスク容量が500MB 減っている。購入したのは1.5GBのSCSIディスク と書かれているが、装着されているのは1GBだ (‾_‾;)。他にSCSI 機器接続可能なパソコンは無いからディスクの取り違えはあり得ない。放置さ れていた半年間に悪人が忍び込んで取り替えて行った、のでなければ私の勘違 いである。しかし、私の周囲の悪人はSCSI無縁の貧乏人ばかり、と云うわ けで、ディスク容量を1GBに訂正します (^^ゞ。
  本題。cdでディレクトリをうろつきls−aでファイルの点検。最初の 収穫、テキストキャラを使ったコンソール版モノクロテト リスを発見。カラーのX版もあるが、コンソール版が面白い。はまる。 ファイルの点検はここで中断。

2001年12月13日(木)
  LinuxではAlt+[F1〜]で複数の独立したコンソールを切換えて 使用できることになっているが、TownsにはAltキーが無い。Townsの FAQを調べるとコンソール切換えCtrl+Shift +[F1〜]とある。試してみると快適快適、各コ ンソールは完全に独立で、コンソールを一つ潰しても、別のコンソール からKill PIDで問題のプロセスを強制終了すれば復活である。マルチ ウインドウよりもある意味使いやすく、堅牢で、某社の 似非マルチOSとはえらい違いである。
  Xシステムを起動した状態でコンソール切換えを行なうと、Xシステムに 復帰できない、あまりにも不便だ。Towns/docを調べると、Xシステ ムは起動したコンソールでなく空いている7番目か8番目を使うとある。[F7] で復帰できて一安心。Xの画面モードもCtrl+Shift+[F12]で切換 えられる。ほんの僅かだが画面が広くなった。

2001年12月16日(日)
  ファイルの点検中に、音が出ていない可能性を疑う。音源の無いMIDIは仕 方が無いが、実装・認識されているPCM音源が動作してい ないような気がする。しかし、問題は先送り、点検が優先。のはずが、 XアプリにSameGameを発見。もともとUnix版があってWindowsに移植されと聞い ているので、こっちが本家。顔バージョン、クリックしたときの表情が面白い。 ファイルの点検またも中断、ひたすらクリック。

2001年12月19日(水)
  PC9801で使用されていたSCSI接続の外付ハードディスク、Melco DSC-1024 (1GB)をGET。さっそく、我が家で唯一のSCSIボード付きパソコン、 Townsに接続(偶然にもケーブルがアンフェノール・フルピッチだった)。 DOSでフォーマットしなおしたら、Linuxで問題なく使用できる事が 判明。さっそく、再インストールにそなえ内蔵ディスクから、Run Run Linux CDをコピー。・・・・・・。遅い、遅すぎる。ほったらかして寝る。

2002年 インターネットに接続だ?
  日記は半年以上更新せずに放置していたが、Townsを放置していたわ けではない。記録がなく詳細は不明(それを防ぐのがこの 日記の目的だ・・・ ^_^;)だが、この半年、Linuxをいじりながら Lanカードを探していたのである。しかし、適当な物が見つからない。 私はTownsに病的思い入れがあるわけではないので、 非常識な価格でカードを調達する気は無いデス。このままカードが 見つからなければ、Mule・Canna体験専用マシンになってしまう。それでは 巨大CDプレーヤーとして活用するのと大差無いので、 取り敢えず外付けモデムを使用してインターネット接続を 試みることにする。メールの送受信ぐらいなら何とかなるだろう。 それに、インターネット接続可となれば、不幸な誰かに 押し付けるのが楽になる (^^ゞ

追1:Melco DSC-1024はPC9801とPC/ATでバックアップ用に共用しようと変換 ケーブル(3,800円、税抜き)を買った直後に、電源が死んだ。カナシイ・・・。 割高なケーブルの立場が・・・。

追2:Lanカード探しは継続しています。タダまたは タダ同然で譲っても良いと言う奇特な方、伝言板で受付しております m(__)m

2002年4月27日(土)
  インターネット接続をこの連休の目標に、日中は資料集めと、モデムの調達を行う。 せっかくの連休にほかにやることは無いのか? (^^ゞ Linuxはインストール時に明示的にはずさない限り、PPP(Point-to-Point Protocol) は使用可能、インターネット接続はきわめて簡単と言う情報を複数確認。モデムは外付けの TO−BXF56K(Panasonic)を借りて帰宅。
  夕食後、早速PPPとPPPdの動作確認を行う。/usr/lib/ppp/pppd でPPPdを確認・・・インストールされていない、grep ppp /proc/net/ devでカーネルのPPP対応を確認・・・していない (‾_‾;)。インストール時にネットワーク ・PPP関連の項目を明示的にはずした記憶はないのだが?

2002年4月28日(日)
  PPPを扱うためにはカーネルにPPPが組み込まれ、PPPd(PPP demon、接続サービスを提供する外部プログラム、Dosで言う外部コマンド、 Windowsで宛先不明メールを返送してくれる外人さん (^^ゞ)がインストール されている必要がある。
  まずカーネルをリメイクしてPPPを組み込む。リメイクは初挑戦。解説に したがってmake zliloで行うが、 2連続のコンパイル失敗。 『るんるん』のTowns関連項目を読み直すと『makefile』に修正が 必要とある。修正後、再挑戦。5時間ほどかかってリメイク終了(今時のマシンは 1時間かからないらしいが)。再起動すれば、OK・・・のはずが組み込まれていない。 項目選択の間違いを疑い、再度リメイクするがやはり組み込まれていない。ここで 決定的間違に気づく。私は(多くのTownsと同様に)DosからzImageで 起動しているので、make zliloではなくmake zImageが正解である。『るんるん』は原則PC/AT用に書かれている ことを忘れていた。3度目の正直、出来あがったzImageをコピーして再起動、 あれ? Root partition has already been mounted read-write. Cannot check! とエラーメッセージが出ている。 Enterで通過してgrep ppp /proc/ net/devで確認するとppp0:〜3:が表示されPPPの組み込み自体は うまくいっている。早朝から作業を開始してすでに日付が変わってしまった。

2002年4月29日(月)
  エラーメッセージは気になるが、すでに深夜だし、また5時間掛けてリメイクも イヤだ。実害はなさそうなのでPPPdのインストールに進む。setupで追加(拡張?) インストーラを起動、ネットワーク関連項目Nをすべてインストールする。 ここで不慮の事故発生、インストール後にフリーズし起動不能になってしまった。 DosからzImageを旧バージョンに戻し、復旧を試みるが起動しない。 もうすぐ夜明けだ、眠い、疲れた、諦めた、再インストールを 決意する。区画設定・フォーマット後、放置して寝る(やはり、 Towns版の基本インストールにはPPPに限らず、選択項目はなかった。標準では インストールされないらしい)。

  昼過ぎに目が覚めたら基本部分のインストールが終了していたので、追加イン ストールにとりかかる。ネットワーク関係項目はすべてインストールを選ぶ。今回 は無事終了。/usr/lib/ppp/pppdで存在を確認。
  引き続きカーネルをリメイクしてPPPを組み込む。前日の繰り返しなので最短 距離、一発成功、と言ってもまた5時間・・・日が暮れてしまった。 今(6月11日)、冷静に考えると、Dos区画はフォーマット していないから、そこにある前日リメイクしたzImageをコピーするだけで OKだったのかも (^_^;)。今回もRoot partition has・・・のエラー メッセージは出ているがgrep ppp /proc/net/devでカーネルの PPP対応を確認。念のためdmesg|moreでも確認、PPP関連項目が2行と TCP関連項目が1行(ネット上の情報ではPPP関連が3行?)が表示される。 /usr/lib/ppp/pppdでデーモンが応答し 意味不明文字列(多分内部での通信結果)が30秒間ほど表示され、正常な動作を確認。 setupで起動するインストーラは1回目しか使用できず、2回目 以降は手動で展開・インストールするのかも、と疑う。
  午後9時、丸2日かかってTowns側の準備OK、ようやくモデムの接続であるが、 TO−BXF56KにはTowns(FMR)対応とは表示されていない。これで 接続できなければ大馬鹿者、48時間の無駄である。しかし、COM1(RS232C) の形状はPC98と同じなので、PC98用アダプターを使用すれば何とかなるに違いない。 cu −l cua0 −s 38400 ・・・ connected、いくつかATコマンド を送信して動作を確認。予想通りTownsとPC98はピン互換だ。早速、 プロバイダにダイアルすると意味不明な文字を受信後、切断される。接続成功・認証失敗 (と言うかしていない)、モデムそのものは正常に動作している。TO−BXF56Kは K56規格であるがV90に変更可能である。V90に変更後、再度動作確認を行うが、 問題無し。午前零時を過ぎているし明日は仕事だが、眠れない。時報、天気予報、 プロバイダ、自宅、知人の携帯とダイヤルしまくる(ゴメンネ、アノ、 ピーガーガーハ、ワタシダ (^^ゞ)。

2002年4月30日(火)
  動作確認も完了し『外付けモデムは転用もできる、ま、無駄にはなるまい』と、 昼休みに家電量販店で処分品のTO−BXF56K(2,980円)を購入する。 数年前の製品だが、なぜか大量に新品が流通している。たしかに 評判は悪いが、この値段なら許容する(と、そのときは思ったがやはり、残り物には訳がある)。
  帰宅後、サンプルスクリプトで挑戦するが、サンプルはppp−on内部から直接 ATコマンドを使用するタイプで、認証方法がわからない。そこで今風?にppp−onと ppp−on−dialerにスクリプトを分け、PAP認証する方法に切り替える。 Net情報を参考にppp−onとdialerを作成・保存して実行。するとエラーで 止まった。メッセージからdialerに実行可能属性が付いていない事が 原因と判明。rootユーザー=神の創造物にまで文句を付けるか、Linux恐るべし、 確かにWindowsのセキュリティとは大違いである。実行属性を付けて再挑戦、試行 錯誤の後、ダイアル−接続までは可能になったが、認証されない。何でだろう?

2002年5月3日(金)
  朝から微調整を繰り返しAPA認証に挑戦。dialerの記述に原因は見当たらない、 が、認証されない・・・。疲れて寝る。

2002年5月4日(土)
  早朝、突然認証される。前日、だめだったスクリプトでも認証される・・・。 その原因は不明だがとにかく認証される。実は5月1日頃から プロバイダ側(Dion)サーバーが不調だった可能性を疑っている。Dionの回答は 『お客様のパソコンの設定のご確認を』であったが、普段使用しているノートもこの期間 異様に応答が悪かった。何はともあれ、接続認証可能になったので早速メールを、 と思ったらMHが(みつから?)ない。mh−eは一応動作したようだが、メールは 行方不明になった。設定が面倒そうなので、取り敢えず今日はここまで。

2002年5月5日(日)
  朝から作業だが、少し目先を変える。ブラウザをインストールしダウンロードが 可能になれば、セットアップが飛躍的に楽になるはず。使いやすいメールソフトも あるに違いない。
  まずOpera for Linux 6.0に挑戦。これはDiviでPC/ AT機からフロッピー渡し。展開後インストールを試みたら例の如くエラーで停止。 これはTowns版Linuxの既知の問題で、uname −mに 旧バージョンカーネルがi386−townsと応答し、インストールスクリプトが (お前なんか知らないと)停止するためらしい。バージョンをあげると解決する 問題だが今回はパスする。
  次はNetscape Navigator2.02(linux)に挑戦。 NetscapeはCD版だから楽だ、と思っていたら、何時の間にか CDがmountできない、できなくなっている。 原因はカーネルのリメイクだと思うが、当分リメイクはしたくない。しかたなく フロッピーでコピーしLinux上で展開しようとしたら、gzipエラー。なぜか 展開できない。アッサリ諦める。Linuxのブラウザ=ネスケの 図式が定着している、人と同じはイヤだ、とヒネクレ者の私 (^_^;)。
  mozaicも候補だったが見つからないのでテキスト ブラウザw3m−990604に挑戦。マシンの負担を軽減するために敢えて 旧版を選択。すべて解説通りに進み、午前0時すぎ、インストール完了・・・。

2002年5月6日(月)
  ppp−on、w3m http://www・・・、URLを打ち込み 注目していると・・・『時代おくれ』の表紙が表示された。いくつかのページを 確認すると、遅いががちゃんと表示される。午前0時32分、掲示板に記念すべき Towns初書き込みを行って寝る。

  翌朝からネットイヌカキ開始。 w3mは純国産テキストブラウザで、日本語はもちろんOK、Tableや Framにも対応しておりページの雰囲気をよく表している。必要時にはxvで画像の 表示も(私のTownsでは非情に苦しいが (^^ゞ)可能だ。すっかり気に入ってしまった。 しかし、なぜか通信が途切れる。傾向としては総量の大きいページで無応答状態が 発生するようだ。再接続すると復旧するので、終日、分単位で切断・接続繰り返して 動作確認を続ける。決して快適とは言えないが、Townsでインターネットを達成し (おい、目的のメールはどうした?)それなりに満足して寝る。 この行為が従量制ダイアルアップの場合、アホのような料金になる ことに気がつかなかった。5月の支払いが・・・ (‾_‾;)。

2002年5月11日(土)
  w3mの動作確認を行いつつ、通信停止の原因を追求する。きちんと調整すれば もう少し速度も上がるに違いないと、調整中に衝撃の事実に遭遇、 TownsのCOM1の最高速度は19,200bps、しかもハード ウェアフロー制御無し。これはPC9801より悲惨だ(FMRも同様らしい、 絶対拾わんと決心する)。通信停止の原因はデータのオーバーフロー である。念のためソフトウェアフロー制御で接続するが、パソ通でもあるまいし、数秒で 通信停止。RS232Cは万能共通規格、外付け機器ならどんなパソコンでも何とかなる、 と信じていたのに・・・。ショックのあまり作業中断。

2002年5月12日(日)
  が、しかし、フロー制御は通信プロトコルでもデータの形式でもなく、 インターネットに必須ではない。一晩うなされて到達した結論は 『オーバーフローしなければどうと言うことはない!』 である。
  フロー制御なしにして最高速度115、200bpsから徐々に速度を 落としながらテストする。COM1の速度19,200bpsを大幅に超え る場合、表面的にはエラーにはならないが実際は超低速(300とか600?) で接続されてしまう。38、400bpsでは数字通りの速度で接続されるが、 すぐにフローする。Townsのチップは無保証ながら 38,400bps可能との情報があり、Linuxインストール時のメッセ ージでは38,400bpsを指定した場合、マシンの最高速指定と(私の英 語力では)受け取れるメッセージがある。接続可能でもフローしては 意味が無いのでさらに低速にする。19,200、9,600・・・ ほら、4,800bpsならフローしないって、あんまりだ  (‾_‾;)。『時代おくれ・表紙』を表示するのに22秒、『ソフト案内』は 3分。ん〜、この速度に実用性を求めるのはPC286Lで鍛えた私の忍耐力を 持ってしても無理、通信費はもちろん時間がもったいない。これではネット関係 の実験用、または変態自慢のネタにしかならない(お、この日記だ (^^ゞ)。
  と、言うわけで、Lanカードに続き高速シリアルカード募集します。 高速シリアルカードをタダまたはタダ同然で譲っても 良いと言う奇特な方、伝言板で受付しております m(__)m

New 2002年6月のまとめ
  また記録をサボってしまった。もはや日記とは言えないような気がするが、 取り敢えず6月の記憶 (^_^;) をまとめる。

  2000年問題?を発見する。システムカレンダがDosは2002年、 Linuxは1902年になっている。タイムスタンプ は2002年と1902年と2030年が混在している。 1902年はともかく、2030年はどっから出てきたんだか。Linuxの カレンダやタイムスタンプの操作方法が解らない、実害もなさそうなので放置。 後日困ることは確実?

  先月見つからなかったmhを/usr/local /bin/mhに発見する。/usr/local/lib/mh/ mtstailorと/etc/servicesを編集、アカウントの設定をして、 メールの送受信を行おうとしたらsegmentation  faultで起動せず。リンク設定が必要なのかもしれないが、良く解らないので挫折。

  起動時に認識されているのはPCM音源ではなくドライバ、しかも16Bit 音源用。H40に実装されているのは8Bit音源、音が出るほうがおかしい。 RunRunには8Bit音源もサポートしているとあるのでドライバを組替える 必要があるようだ。またリメイクかな・・・ (‾_‾;)

  初期型Townsでも1.44MBフロッピーを読むことが可能であると判明。 mount /dev/fd0 /mnt −r −t msdos で通常の2HDも読み込みは可能(書き込みは確実にファイルが壊れるらしい)。 ファイルを分割してフロッピーでコピーする回数が2DDの半分に (^o^)/

  viは相変わらずコンソール・Xともに日本語入力不可だが、何時の間にかmule はXでも日本語OKになっている。再インストールの副産物か?

  標準でインストールされるXSpread(v2.1) と言うX版の表計算ソフトを発見。日本語非対応?でセル幅は固定?だが、グラフ機能も 有り結構使えそう。操作はDos版Lotus風で、/でメニュー にはびっくり。なお、マニュアルにはLotusとは別物、無関係と 強調されている。

  w3mでダウンロードが可能なことを確認。Vectorで試したところFTPでは ダメだがHTTPでならダウンロードできる(当たり前?)。これでソフトのインストールが 楽になる、OSのバージョンアップも可能だ。1024×1024÷4800=218だから 1MBあたり3分38秒、パッケージが500MBとして13〜14時間あればOKって、 やはりネックは通信速度か・・・。

New 2002年7月11日(木)
  アーバンのTURBO232CT、高速シリアル カードが届く。いきなり交渉を持ちかけた私に快く譲ってくれた Sさんに感謝 m(__)m (私のような図々しい輩が押し かけると迷惑でしょうから匿名で (^^ゞ)
  早速、取り付けて動作確認。DOSのSETUP2コマンド(PC/ATの Bios設定のようなもの)で確認するとCOMポート0〜3がきちんと認識されている。 DOSで起動したついでにネットスケープのソースをCDからHDにコピーしようとしたら CD−ROMが死んでいた。LinuxがCDを認識しない のはカーネルリメイクの失敗ではなかったようだ。しかし、役立たずTowns−CD、 だからど〜した、気にしない。
  引き続きLinuxを起動する。COM0からCOM1に変更なので、通信ディバイス cua0からcua1にスクリプトを修正する。取り敢えず速度は4,800bpsのまま。 ppp−onで接続、なぜかエラー発生。COM1(cua1)からCOM2 (cua2)に変更してもダメ。カードを点検しようと裏を覗いたら金具が浮いている。 ネジを締める習慣が無い (^^ゞ ので気がつかなかったが、構造に問題があり 完全に差し込んだと思ってもあと5mmほど押し込めるよう である。きっちりネジ止めして再挑戦。今度は成功、満足して寝る。

New 2002年7月13日(土)
  本格的な調整、まずカードの点検。カードには8連ディップスイッチがありSW1が CH1・2と3・4の切替。SW2〜4とSW5〜7がそれぞれCH1(または3)と 2(または4)の速度(×1、×2.7、×4、×6)とFIFOの設定で、SW8は使われ ていないようだ。ハードウェアフロー制御の設定スイッチが見当たらない。SETUP2 を起動するが、ソフトウェアスイッチでもない。ATコマンド(crtscts)で設定 するに違いないと信じ、通信速度38,400bps・FIFOはOFFで挑戦。あっさり フローして通信停止。なんと232CTにもハードウェアフロー制御 機能が無い、カード入手の目的はハードウェアフロー制御なのに・・・(T_T)。
  しばし休息、気を取り直してFIFOについて情報を収集。FIFO とはアーバン独自のフロー制御で(CPUの処理能力に応じて)高速通信を可能に すると言う。私の想像ではCPUの処理待ちを行う巨大バッファーらしい。そんな横着な 方法でうまく行くのかと疑いつつFIFOをON、192,00bpsで接続、おっ、 フローしない、モデムの送受信ランプがチカチカと点滅して美しい。FIFOが有効に 機能することを確認して一安心 (^o^)。48,00bpsではチカ (送信)・・・(沈黙)・・・チカ(受信)・・・(沈黙)・・・です、お験しあれって、 何の意味も無いか (^^ゞ。

New 2002年7月14日(日)
  FIFOを使用したセッティングをおこなう。通信速度×2.7と×4ではモデム接続は 可能だがダイヤルしない。×6では内部192,00bpsでのみ接続可能でping値は 178、ちょうど外部1152,00bpsになるので納得する。×1では全範囲で接続 可能だが、384,00bpsで最高値230となった。なぜか192,00bps×6 (1152,00bps?)を含めても、384,00bps×1の 表示速度が最速なので、これを採用する。ノーマルポート(4,800bps)と 比較して通信速度で2.7倍、表示速度で2倍、『時代おくれ』表紙表示で約10秒になった。
  しばらくw3mでネットをうろつくが、あと一歩、まだ感触が悪い。『武器は無いのか? 武器は?これか!』とメモリーウェイト操作ツールabを発見(RunRunでは誤植で lxabと紹介されている)。さっそくab −fで高速モード に切り替えると、表示(通信速度ではない)が約10%高速化され感触もよい。
  実質速度は1〜1.5KB/S程度のようだがw3mが画像やJavaを(ほぼ)無視 するため結構高速である。ページ構成によっては5KB/SのIE、NNやOpera (Win版・画像有り)より高速に表示できることもある。というか、 無意味な激重ページ多すぎ (‾_‾;)。ゴミ寸前だった Townsは232CTの導入で実用的?ウェブブラウザとして復活 (^o^)。 ウイルスもQ2も国際電話も(あと暫くは)無関係、かかってこんかい 凸(‾_‾;)、と懸案の 妖しげなサイトの点検に出発、画像ばっかりのページは速いぞって、あ〜今月も接続料が・・・。

New 2002年7月21日(日)
  今日もサイトの点検だ。ん〜、H系バナーが画面いっぱいに並ぶより、ALT文字列 (濡れ濡れ、ぐちょぐちょ・・・etc)が画面いっぱいに並ぶほう人目が気になる(職場で 音声ブラウザが淡々と読み上げたときはパニックだった (^^ゞ)。
  画像を表示するためにはX上でw3mを起動する必要があるが、高速モードではXが 起動しない。で、ノーマルモードを使用していたのだが、ひらめいた。ノーマルモードで 起動してX上で高速モードに切り替えればよい。気づいて見れば簡単だ、とw3m+xvで 画像を表示させたらていたら、突然画面が真っ暗に、コンソールも移動不能、キー操作不可! なんとLinuxが暴走した、初体験(イヤ〜ン)。しかしLinuxは堅牢なOS、一見 死んだようでも必要な情報をディスクに書き戻す機能が最後まで生き残ると言う。それを 信じて数分間放置、その間2〜3回ディスクへのアクセスを確認しリセットボタンを押す。 エラーも無く無事に起動して一安心。
  再インストールはもうイヤだ (‾_‾;)、コンソールは高速モード、 Xはノーマルモードと使い分けることにする。むりして 画像をTownsで確認せずにURLをメモしよう (^^ゞ。

New 2002年7月27日(土)
  灰色サイト点検用マシンとして活路を見出したTownsではあるが、やはりメールが 扱えないのは痛い。定番のmhは起動しない。で、インストールに失敗し放置していた Operaの(すっごく使いにくい、しかもバグ満載の (^^ゞ) メーラーを使おう、軽量快速をウリにしているから(画像非表示にすれば)ブラウザとしても 使えるかも。
  install.shが停止するのはuname −mのマシンチェックで旧版カーネルが i386−townsと応答するためである。ならばチェックを回避し強行インストールすれば 良い。muleでinstall.shを開くと予想道理、先頭部分でチェックしている。 machine=”uname −m” を machine=i386 に 書きかえる。作戦成功、インストールは無事終了しLet’s Enjoyメッセージを 確認。しかし、Opera実行ファイルが無い、とエラーになる。 が、その指定の場所に実行ファイルはある、何度確認してもある、あるったらある、絶対にある ・・・ (‾_‾;)。 なぜだ?しばらく頑張るが諦める・・・。直接起動(runme.sh)でも同じ症状で起動 しないので、インストールの失敗ではなくOperaまたはOS(あるいは両方=組み合わせ) の障害に違いない。
  Operaの起動には失敗したが、uname問題を解決できた(と今は信じている) 事は大きい。これで色々なソフトがインストールできるぞ!と、満足して寝る。なお、 Townsはi386(x86)同等マシンだから問題は無いと思うが、 チェックはずしは自己責任です (^^ゞ。

New 2002年7月28日(日)
  朝から点検済み画像のダウンロード、もちろんこの作業にTownsは使わない。 専用回線+Windowsマシンで落としまくる。その間暇なのでmhとOperaの障害に ついて情報を収集する。Segmentation Faultはメモリ不足でも発生すると言う 情報があるがmhでそれは無いような気がする。Operaの起動障害に関してスタティック版 の正しいバージョンを使えとOpera.comにあるが、Slackware−2.3.0 Towns版に対する正しいバージョンと言われても?である。だからと言って質問メールを 出したら嫌がらせだと思われそうだ、私でもそう思う (^^ゞ。
  偶然にネット上のFAQの中に起動時のエラーメッセージに関するものを発見、 私とまったく同じ症状。それによると、Root区画はread−onlyでマウント されチェック後read−writeで再マウントされる必要がある。困ったことに make直後のkernelはRoot区画をread−writeでマウントするので、 rdev −R zImage 1で強制的にread−only にする必要があるそうだ。rdevで設定後再起動すると、ディスクにアクセスし 続けて起動しない。一瞬ひやっとしたがメッセージを読んで納得、/dev/sda1: had reached maximal mount count,check  forced.しばらく待ったらエラーメッセージ無しで起動した。以降の起動では /dev/sda1:is clean,no check.にメッセージが変わっていた。 名著RunRunがこんな基礎的かつ重大なことをもらすとは、と腹を立てたが、良く見ると このFAQはRunRunのCDに収録されている・・・。RunRunの該当ページを 見たらちゃんと書かれている・・・。ナンドメ ノ シッパイダ? まにゅある、へるぷ、 カイセツボン ワ チャント ヨモウヨ (^^ゞ。

New 2002年7月29日(月)〜31日(水)
  日記を日記=リアルタイムに戻すべく集中的に更新を行う。問題が解決しているのに 自分が何をしたか忘れた、解決した問題を忘れた、問題があったことすら覚えていない・・・。 アル中ハイマーがさらに進行したようだ。記録を残すためにもこのページだけは きちんと更新しよう(口癖になりつつある ^_^;)。


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